液体窒素と兎の唄

まだ生きてる

ミニマリズムは依存からの脱却

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 ものをどんどん捨てていくと依存からの脱却を感じた。

 一番それを感じたのはずっと着続けていたアウターを実家に送った時だった。

 

 それは卒業祝いとかで母から贈ってもらったバブアーのジャケット。ずっと一緒に過ごしてきた衣服を自分だけの選んだものに統一してみようと思って、気に入らないという訳ではないけれど。今、とても大好きな服かと言われると疑問だったので、手放すことにした(さすがに捨てられず実家に郵送した)。

 

 実家に送ったと母に連絡をすると、少しだけ寂しそうなLINEの返信が来ていた。そして自分の内側で、心に貼ってあったシールを一枚ぺらりと剥がした感覚があった。

 

 人間が一人生活していくと、いつの間にか誰かの形跡が強く残っていくものだ。

 本人から相手への依存。そして相手から自分への束縛の結果が残っているのだと思った。

 コルクボードに友達の写真を貼っていること。大事な恋人からもらったものを使い続けること。結婚指輪なんてそれの最たるものだと思う。

 

 それは強い信頼でもあるけれど、ひどい依存とも呼べるものであって、自分でそれを一つ剥がした事を僕に実感させた。

「アウターはこのジャケットがあるから気にしなくていいや、そして手放すのは高いものだし、母にも悪いしずっと持っておこう」

 そんな気づかなかった思いが自分の中にあったことを認識できた。

 そしてまた本当にお気に入りのアウターを自分で選ぶ時に、母に意見をもとめてみようとも思った。

 

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 捨てること、選ぶこと。それを繰り返すからミニマリズムは判断力や、能力が向上すると言われているのだと思う。

 自身のコントロール感というのは幸福に直結している。

 シカゴ大学の研究でセルフコントロールが高かった人ほど、人生に満足していることが多いとも結果が出ている。

 

yuchrszk.blogspot.com

 

 きっと人間が一人で認識していられるもの、管理しておけるものというのは本当に僅かなのだと思う(もちろん自分のキャパが少ない事だとも思うのですが)。

 少なければ少ないほど自分の生活をコントロールする事が容易になっていく。

 

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 適当に生きていれば適当に誰かにいつの間にか寄りかかっている。そして寄りかかっている、寄りかかられている事実すら僕らは気づけずに生活している。

 

 アウターだけの件だけでなく、他にも自分には発見があった。例えば捨てられない書類関係を整理している時に、自分が入っている火災保険や、職場との契約書、音楽の著作権契約書などを再度見直す機会があった。

 友達からもらった使わないキーホルダーが捨て辛かった。友達に申し訳ないと思う思い。それでもこれを捨てた所で嫌われたりはしないさという割り切りが出来た。

 

 自分が今何と繋がっているか、そしてそれぞれを見つめなおして、再度繋ぎなおして、自分の両足で立てるようになっていきたいと思っている。

 

 読んでくださってありがとうございました。