みにまるみりん

肩から荷物を降ろすミニマリズム

ミニマリストになって僕は何も好きじゃないし、嫌いじゃないと分かってしまった

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 自分を少し見失った。

 

 物を多く手放してなんでもできるようになって、今まで自分だと思っていたものが自分ではなくなって、キャラクターが曖昧になっている感覚がある。

 

 さきに一度結論を書くけれど、

 

 僕は何も必要じゃないし、何も好きじゃないという虚無な感情を理解してしまったんだと思う。

 

 たくさんの本が、たくさんの服が、たくさんの楽器が、たくさんの求めているものが、自分の周りであなたはこんな人間だよ。好きなものは多分こんな感じで、嫌いなものはこんな感じなんだと思うよ、と伝えてくれていた。

 

 例えば人はいろんな括りでくくられる。

 そんな基礎となる部分。

 まずは大人と子供。男と女。身長が高い、低い。年収が高い低い。神経質、奔放。

 

 職業の分類。

 医者、弁護士、事務、営業、販売員、学生、プログラマー、幼稚園児、旅人。農業。ユーチューバー。アフィリエイター。

 

 傾向からの分類。

 サブカル系、草食系男子、自給自足する人、のんべえ、歴女、スロッター、ゲーマー。

 

 そんな括りも、物を手放すと。意味を手放すと。自分を手放すと。

 自分を見失ってきた。根幹の部分はもちろんある。あくまでミニマリストは最小限主義と呼ばれているとおり、一番のお気に入りを強調させる文化ではあるけれど。

 

 例えばコップが置いてあったとして、そこに今まで、なみなみにパフェが盛られているとする。

 ミニマリストになる事で、そのコップの中身のパフェは三分の一になって、高級なチョコと生クリームと、砕かれたクッキーだけになる。

 

 そしてその隙間にある空間。コップの何も入っていない部分。

 そこがたまに、「空いているよ」と「すきまだよ」と訴えてくるようになった。

 

 それは特にこのブログを書いている時に訴えてくる。

 昔はもっと格好つけた文章で難しい漢字を使って、こんな頭の良い人ですよ。こんな面白い事を書きたいんです。のようなエゴで僕は文章を書いていた。

 

 しかし、ミニマリストになって、そしてなんでも一度は受け入れてみても良いというような。空いたコップに色々なものを一度は入れて、そして出すたびに。

 

 これは僕なんだろうか。僕は誰かを喜ばしたいんだろうか。

 そもそも僕は僕を喜ばせたいだけなんだろうか。

 僕は人を喜ばせたところで嬉しいんだろうか。 

 

 欲とは満たしたところでなんだというのか。

 

 承認欲求は一度満たされるとまた、乾いた時に苦しいだけなのに、発信など意味があるんだろうか。

 

 もっとミニマリストとして安定してくれば、何がとても嫌で、何がとても好きなのか分かってきてくれると思うんだけど。

 物を減らしてみて僕が思っているのは、何が好きか、大事かもわかった事も多くあるけれど。

 

 僕は何も必要じゃないし、何も好きじゃないという虚無な感情だという事も理解したんだと思う。

 

 向かうべき場所がなくては強く早く進めない。

 それでも僕は今のからっぽはわりと好きだったりする。

 色んな散歩をして、様々な自分を試してみる。

 それが良いことは分かってはいるけれど。

 

 良いこと? それすら何が良くて悪いのか。

 

 いまいち実はわかっていなかったりもすると散歩をして思いました。

 

 読んでくださってありがとうございました。