みにまるみりん

肩から荷物を降ろすミニマリズム

物を多分1000は手放したけれど、一つとしてまだ手放さなければよかったと思っていない

スポンサーリンク

f:id:mirin9:20191203192605j:plain

 こんばんはミニマリストのみりんです。多くのものを手放しました。

 ソファー、クロスバイク、服の収納ボックスを3つ、本棚を1つ、服を50着、本を400冊、CDを200枚、ギターを2本、ベースを1本、読書灯、靴を8足、その他いろいろ色々。

 

 

 そして自分でも驚いているんだけれど、一つとして「あーあれ捨てなきゃよかった!」というものがないんです。

 

 速攻で買うだけだったが、使い捨てマスクを捨てた後に買わなくてはならないことがあって、その時くらいかもしれない。それも後悔ではなくて「あ、買わなくちゃいけない」みたいな意識でした。

部屋の少ない収納を開けるたびに、そのどれもがお気に入りではまだないにしても「必要だ俺は」と訴えてくる。

 

 デスクトップパソコン、お気に入りのギター、アンプ、コロコロ、ドライヤー、携帯、タブレット、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、ブルートゥースイヤホン、ティファールのケトル、最小限の服、薬、サプリ、化粧品類。毎日毎日使っている、必要なものばかりだ。そしてそれらはすぐに収納におさまってしまうような少ないもの。

 

 何故手放さなければよかったと思わないのだろう。

 

 僕は日常で常に使うもの「以外」を手放していった。

 触れる機会がたまにしかないものを切り離していった。なんてたくさんのものを僕は自分に貼りつけていたのかなぁとも思った。たくさんのシールを貼りすぎて、原型を留めていない手帳みたいだった。

 

 全部シールだったから、僕はぺらぺらだったんだなとも気づいた。自分はこんな人間だという自意識もいくつも剥がれ落ちた気がする。

 それは良いにしろ、悪いにしろ。

 

 どれもが自分ではなかったのだ。例えば爪を剥がされれば痛い。傷つけられれば痛い。そこまで自分に食い込んでいるもの以外は僕らは痛くないのかもしれない。

 

 なので僕にとっては音楽を最低限作る事が出来る「デスクトップパソコン」「エレキギター」「アコースティックギター」のそれぞれは手放せていない。

 ただし、自分を形作っていない、大量の服は別に痛くない。

 

 本当に大切じゃないから。

 自分と混じっていないからだ。

 

 そしてその他のそれぞれは日常生活で常に使っているものばかりだから。自分を損なうもの以外はすべて捨てられる。

 そして時たま必要な娯楽。本や、映画はインターネットで足りてしまう。

 

 

 文章にしてかなり明確になった気がする。

 こんな雑文を読んでくださってありがとうございました。