みにまるみりん

肩から荷物を降ろすミニマリズム

慣れるという毒 飽きるという罠 新しいモノを消費し続け不幸になってしまわないように

スポンサーリンク

f:id:mirin9:20191224185507j:plain

 こんばんはミニマリストのみりんです。

 慣れるって怖いですよね。飽きるって悲しいですよね。

 

 慣れるから新しいものを欲しがる。飽きるから空虚になってその穴を埋めるために物を増やす。

 

 それはもちろん生きていく上で必要な事でもあるけれど、その新陳代謝がもっとスマートであれば僕らはきっともっと幸せで、効率よく、賢く生きれるようになるんじゃないかと思っています。

 

 それに対して気持ちをどう向き合っていったらいいのだろうという自分なりの考え方をまとめてみようと思います。

 もちろんミニマリズムはそれに対して非常に有効ですよ、というお話しではあるのですが、特に物を捨てる捨てないとかそういう事ではなくて、モノに対しての捉え方の一助になってくれたらうれしいです。

 

「僕たちにもうものは必要ない」著・佐々木典土では『慣れるという毒』についてこのように書いてあります。

 

 買ったばかりのワンピースを初めて着るときは嬉しいだろう。5回着ると「慣れ」てしまい喜びは減る。10回も着れば、ワンピースは新しいモノではなく、「当たり前」にクローゼットにあるモノだ。50回着れば、「飽き」てしまうかもしれない。

 叶った願いの輝きは「慣れ」から始まり、「当たり前」の前提になり「飽き」という否定に行き着き、最終的に黒ずんだ、つまらないモノになってしまう。

「慣れ」→「飽き」という仕組みだ。

 

 僕は昔から、言葉だったりでも同じ事を思っていて、モノだけでなく賞味期限に僕らの心は打ちのめされ続けてしまう悲しさを考えていた。

 例えば尊敬してもらえる人から褒めてもらったとき、女の子から好意を伝えられた時、その言葉を僕らは何度も何度も心の中でお守りのように反芻する。

 

 でもいつの間にか、きっとそれは過去のものとして、古びて「ときめきと効力」を失ってしまう。

 

 それはとても自然な事だけれど、それに対して少しも僕らは抗うことができないのだろうか。

 

 モノに対しても同じで、僕らはモノを消費し続けている。

 消費できていればいいんだがまるでお腹について不要な脂肪のように僕らはきっとモノを捨てきれず、部屋に蓄え、いつの間にか肥満になってしまっているのだと思う。

 

 そして一度、そういった人間の当然の感情の帰結として、新しいモノを欲しい欲しい!と繰り返している事に対して疑問を持ってほしいと思っています。

 

 結局飽きるのなら、その飽きてしまっても大丈夫なものにしておくというか、自分の中の本当のお気に入りだけを、古びてしまっても愛を持っていられるようなものをずっと所有しておくことが一つの抵抗方法だと思う。

 

 また自分が自分のもっているものに『飽きている』という認識をしっかり持っており、結局新しい何かを空腹と同じように何度も手に入れ続ける事へも疑問を持ってほしいと思っています。

 

 

f:id:mirin9:20191224185446j:plain

 

 せっかく飽きていく、慣れていくのなら、前向きにとらえられるようにしたいと最近は思っています。

 

 とっても苦しい事もそのうちは慣れていくし。

 どうしようもない嫉妬心だってちょっとずつ水面の水面の波が収まっていくように静かになっていきます。

 

 大きな感情の波に乗っかっていらないものを部屋に増やさないように。

 痛みに反応して誰かを必要以上に攻撃したりしないように。

 

 どうやってもあらがえない事柄はしっかりと現状を見つめて

 そして凪いで行く海をみるみたいに見つめていられる事がちょっとでも出来るようになれたらと思っています。

 

 ちょっと不思議な記事になってしまいました。

 今日も読んでくださってありがとうございました。