みにまるみりん

肩から荷物を降ろすミニマリズム

インターネットでアカウントごとにキャラクターを作れるのは良いのか悪いのか。

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 こんにちはミニマリストのみりんです。

 このブログでは、読んでくれた人の肩から荷物が降りるような情報を発信しています。

 

 今日はミニマリズムの話でなくて自分の話を少しします。

 

 昨日、こういったツイートを「僕が行っていた音楽アカウントYono」でアナウンスを

 行いました。

 

 

 前アカウントでこのブログの活動を公表した形です。

 Yonoという名前で10年ほどボーカロイドでの楽曲制作や、商業音楽で活動を続けていました。

 

 

 僕は中学か高校から音楽だったりブログだったりを続けてきていて、完全な断絶を行った事はありませんでした。次はここのアカウントで活動をやっていきますと、公開しつつ名前を変えたり、ホームページを変えたりしてきました。

 しかし今回のYono→みりんへの移行にはかなり抵抗がありました。

 

 

 

 Yonoというアカウントはいつの間にかかなりストイックなアカウントになっていたからです。アーティストの側面を強く出して、あまり誰かとかかわる事も出来る限り避けるような形をとっていました。

 

 そのアカウントで音楽を聞いていてくれていた人にこういったあけすけなブログだったり、なごやかな形での情報発信を公開する事にかなり躊躇がありました。

 例えば会社では頑固な冷徹なサラリーマンが、おうちでは生まれたばかりの赤ちゃんにめちゃくちゃ甘い顔を見せるような…

 じゃあ最初から公開せず使い分ければいいのにと言われてしまいそうなのですが、結局どれもこれも僕自身なんだなあなんて思ったんです。

 

 ちょうど岡本太郎さんの本を読んでいて

「自分はだめな人間なんだとか、こうやったらきっとだめになるだろう、それならそのマイナスの方に賭けてみるんだ。」(岡本太郎『自分の中に毒を持て』)

 なんて文を読んで、辛い方に、きつそうな方に賭けてみようと踏み切ってみました。

 

 

 あとはやっぱり、せっかくインターネットで知り合った人がいるなら、そう言った人にもブログとか読んでくれたらいいな!とももちろん思っていました。

 

 

 

 例えば高校生のころ「かってにゆずっこ」というゆず応援サイトで弾き語りの音源をアップロードをしていました。

 そのころの人がずっと聴き続けてくれたりして、DMをいただいた事があったんです。

 

 インターネットなんて、広大な場所でなんとなくでもずっと追いかけてくれたり、関わろうと思ってくれている人がいてくれるなら、まあやっぱり繋げていこうと思ったんです。

 

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 もう一つの理由はYonoというアカウントは時間を経てどんどんアーティストらしく、暗く哲学を押し出した形のアカウントでした。

 そのキャラクター性を作るのにも疲れていたんだと思います。正確にはキャラクターを作るというより、自分の中のアーティストの側面だけを出し続けるという形なんですけれど。

 音楽発信を始めた当初は今のこのアカウントと同じくゆるく、誰かに喋る自分のようなアカウントでした。

 いつの間にか変わっていったのが悪いとか良いとかそういう事ではないんですけどね。

 自分で勝手に鎖をぐるぐる巻いて、その鎖に「うわあ助けてくれ!」って自分に助けを求めて、自分でついに解きだした…という完全なマッチポンプです。

 

 

 インターネットの顔ってむずかしいですよね。

 例えば人によって性格を変えるってよく聞く言葉だと思うんですけど。正確の悪い女性の一つの行動として例に出されますけど、結局みんな誰かによって性格は変えるんですよね。

 店員さんへの顔。社長さんへの顔。両親や家族に見せる顔。仲のよくない知り合いに見せる顔。親友に見せる顔。

 すべてが一緒の顔になってしまったら、自分の会社の社長に、家族向けの対応で「ねぇ~そこのみかんとって~しゃちょ~」みたいな事になってしまいます。

 

 じゃあ自分はどの程度のどの顔でインターネットに顔を出していったらいいんだろうなんて悩みだしました。

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 結局人は自分の事にだけ興味があって、他人の事なんて知らないってのが当然のスタンスだとは思います。だからこそ、まあ自分がしたいようにやるのが一番だ。ただし!ひとさまに迷惑をかけない限り。

 

 と、そんな形で葛藤がありつつ、結局アナウンスをしつつ、一体どんな顔で言葉を書いていいのか迷ってしまいつつ、こういった記事を書かせていただきました。

 

 つまり、学校で誰もがやってしまった事がある教師に「お母さん!」って呼んじゃった時の気持ちなんです。まいったね!

 

 この記事でまた一つ肩から自分の荷物を降ろせた気がします。

 今日も読んでくださってありがとうございました。