みにまるみりん

肩から荷物を降ろすミニマリズム

ミニマリストは幸せについてこう考えることにした。

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  こんにちはミニマリストのみりんです。

 このブログでは読んでくれた人の肩に乗った荷物が、軽くなるような情報を発信しています。
 
 幸せに対する定義が二年間でモノをたくさん捨てていって、
 ちょっとずつずれていって、ある程度の考えのかたまりになったので書いてみようと思う。
 
 

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①美男美女は幸せだろうか?

 
 これを考えてみた。例えばこの前なんとなくTwitterで橋本かんなさんのツイートを見に行った。
 「おはよう」みたいな手軽なものでも2万とかリツイートやファボがついていた
 彼女のキャラクターは好きだし、多くの努力からその立ち位置についたことはわかっているけれど
 あの美しさがなければもちろんそういった人間にはなれなかっただろう。
 
 
 あなたの職場にもちょっとした格好いい男の人や、美しい女の人がいると思う。
 
 
 その人たちは遺伝子レベルでその他の人より優れている。
 何故なら人間が美女、美男と感じる人はあらゆる人間の平均値の顔、また左右の均等な顔が
美男美女として感じるように僕らは思い込んでいるからだ。つまり多くの遺伝子を取り入れている
種が、優秀だと僕らは判断しているという事になる。遺伝子レベルの話。
 
 
 僕らはいつも彼女や彼をとてもうらやましいと思い、そんな人間であったらいいのにと思っている。
 当然だ、持っていないのだから。
 
 
 しかし彼女、彼の立ち位置になれば話は変わってくる。
 結局人間は持っているものには慣れるし、それが当然のものとして生活していくことになる。
「自分は恵まれている」
 そういった認知はあったとしても、美男美女は別に最初から持っているものに対して「幸福」を
手にすることができない。
 
 
 あなたはゲームをプレイするときに、最初から初期装備で持っている道具に価値を感じられない。
 そんなの当たり前だ。スタート地点から努力もなく手に握っていたものなど、そこからがスタートだからだ。
 

 

 
 だから有名人のスキャンダルを思い出してほしい。「覚せい剤におぼれる」「お酒におぼれる」「不倫におぼれる」
 どんな美男美女も結局普通の生活から足を踏み外して転げ落ちてしまう。
 それは自分自身がすでに持っている幸福を幸福と感じれないからだと思っています。
 
 
 視点を戻して僕やあなた。そこまできっと美男美女ではないあなたとして想定します。
 そこまで羨ましいと思わなくなったのではないでしょうか。
 あくまで僕もあなたも、自分の持っているものでこの世界というゲームを攻略していくしかない。
 
 スヌーピーは言っている「You play with the cards you're dealt …whatever that means」
 (配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ)
 

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②大金持ちは幸せだろうか?

 お金はあったほうがいい、それは当然。それがこの世界のルールだ。
 資本主義という大前提の箱に入れられた以上、その資本を奪い合うように僕らは義務付けられている。
 
 しかし今回も大金持ちに視点を移してみる。
 800万円以上の給与の幸福感は変わらないというのが通説だ。
 
 だっていくらお金持ちでも、ビルゲイツは三回以上ごはんを食べられない。
 マークザッカーバーグは延々とセックスが出来ない。
 ウォーレンバフェットは健やかで気持ちの良い睡眠を続けられない
 
 
 結局人間はどこまでも人間であり、お金の消費で、その時だけの幸福感を味わい続ければただそれに慣れていくだけになる。
 これくらいあれば幸せになれる、そのラインを見極め、ないしは自分で下げていくことでこそ幸せを感じられるはずだ。
 そのお金はなんのために使うのか。
 そのお金はだれのために使うのか。
 そのお金はあなたを幸せにしてくれるのか。
 それを自問自答していくのが幸せの近道だと思う。
 
 ウォーレンバフェットは880億ドル以上の資産を持ちながらも質素な生活を続けていたそうだ。
 幸せの在り方を学んでいる人は無駄なお金の使い方をしないという事だろうか。
  
 お金がないほうが良いという話ではなくて、お金というモノサシで幸せを図っては決していけないだろうと思っている。
 
 

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③幸せは乾いたところに染み込む水だと思っている。

 
 最近よく紹介させてもらっている「僕たちにもうモノは必要ない」という本の中でも
「幸せとは「なる」ものではなくて「感じる」もの」という考え方が出てくる。
 僕もそれを同意していている。
 
 あくまでも幸せというのは常に「幸せだ」という状態ではない。
 嬉しい!とか、苦しい!とかそういった感じる一つの瞬間だと思っている。
 
 すごく眠いときに眠ること。とってもおなかがすいているときに食べること。
 さみしい時に、大好きな人に抱きしめられること。
 乾いた部分に染み込むことが幸せだと考えています。
 

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④貧乏な人は不幸せだろうか?

 
 決してそんなことはないと思います。
 例えば日本で貧乏だと不幸せだと感じるのは比べる対象が回りに目につくというところかもしれません。
 ここでも話を戻しますが、あくまでも「当然」のレベルが重要になってくると思っています。
 例えば水道のない地域に日本人が飛ばされたら、自分は不幸だ!もっと便利な場所に住みたい!と思うはずです。
 でも最初から水道のない地域で住んでいる人は、あの人はよっぽど便利な場所にいたんだねと思うはずです。
 
 その時貧乏なのはその水道のない地域の人なのに、それが「あたりまえ」であればそれは不幸ではないのだと思っています。
 

 

 

⑤まとめ

 
 
 と僕は最近定義するようになりました。
 自分のできる範囲で、だれかと多く比べることなく。
 幸せとはあくまでも感覚であり、そして自分の生きる範囲をつつましく、
 そしてコントロール出来る範囲にしていく。
 それが僕なりに見つけた幸せへの道でした。
 
 ミニマリズムはそういった考え方を学べる大事な機会でした。
 
 
 
 おすすめの本はこちら。
 
 
 僕は僕なりにミニマリストのなり方をこう行った形で実践していきました。
 
 
 
 ちょっとでも読んでくれた人が参考になってくれたらうれしいです
 読んでくださってありがとうございました。